【The History of Emo】The First Wave: Revolution Summerと反商業主義
最終更新日: 2023年2月17日
The First Waveにあたる1984年から1994年は、US Hardcoreの変革期でEmoの基盤が形成されました。黎明期にあたる時代なのでジャンル的にはPost-hardcoreに分類されるバンドも多く、Emoと言えばThe Second Waveの印象が強いですが、The First WaveはEmoの原点が詰まった重要な時代です。
- The First Waveの歴史
- The First Waveのジャンル分け
- Revolution Summer (Emo-core、Emotional Hardcore)
- Post-Revolution Summer (Emo-core、Emotional Hardcore)
- Early Emo (Real Emo)
- 脚注と参考資料
目次
The First Waveの歴史
''Emo-Core''の誕生
そもそもEmoというのはWashinton, D.C. Hardcore (DC Hardcore、harDCore)のサブジャンルで、1985年に起きた''Revolution Summer''(1)と呼ばれる活動がきっかけとなってPost-hardcoreとほぼ同時期に誕生しました。''Revolution Summer''は、日に日に暴力的で過激化していった当時のHardcoreに反発し、Rites of SpringやEmbraceといったバンドを中心として提唱されたもので、その後の影響を考えるとまさに革命と言っても過言ではない歴史的なできごとでした(2)(3)。
そして、このことは当時のHardcoreと関わりの強かった、カリフォルニアのスケートボード専門誌「Thrasher Magazine」でも取り上げられました。''Revolution Summer''で登場したバンドを''Emo-core''と紹介していて、これがEmoという名称がはじめて言及された記事だといわれています。
この記事は、名称自体を考えたわけではなく、おそらく当時のファンの間で何気なく使われていた名称を取り上げただけの些細なものですが、Hardcoreから生まれた新しいジャンルに対して''Emotional''という単語を使ったことが、多くのバンド達から批判されることになります。特に、Embraceのボーカルであり、The Teen IdlesやMinor Threatで一緒だったJeff NelsonとともにDischord Recordsを運営していることで知られ、当時のHardcoreシーンでかなりの影響力を持っていたIan MacKayeの怒りを買い、1986年に行われたEmbraceのライブ中に「I must say emocore must be the stupidest fucking thing I've ever heard in my entire life.」という発言をしました(5)。その他のバンド達もこの名称を受け入れることはほとんどなく、音楽性自体は評価されていたものの、''Emo-core''がジャンルとして定着することはありませんでした。There's a new form of performance occuring out in Washington D.C. It goes by the name of Emo-Core or Emotional Core. Bands like Embrace (featuring Ian MacKaye), Rites of Spring, Beefeater, among others, are taking the severe intensity of an emotional projection and adding it totally into their respective live sets. Crowds are said to be left in tears from the intensity. This sort of a gig is not a frequent affair as the bands are fully drained after their performances.
Thrasher Magazine
1986年1月号 p.74(4)
''Revolution Summer''の中心人物だったGuy PicciottoはRites of Springの解散後も、One Last WishやHappy Go Lickyなどのバンドを結成し、Peterbilt Recordsを始めたりと活動を続けましたが、最終的にはIan MacKayeのFugaziに合流したためワシントンD.C.におけるEmoの流れはほぼ途絶えてしまいます。このため、Emoにはジャンルの創始者となる明確なバンドがおらず、メッカとなるはずだったワシントンD.C.も、FugaziをはじめとしたPost-hardcoreが流行し、Emoは当時の人々からほとんど相手にされていなかったと思われます。
それでも、''Revolution Summer''で生まれたHardcoreとAlternative Rockを掛け合わせた音楽性は次の世代に受け継がれていきます。Dischord Recordsは引き続き影響力を持ち、後にプロデューサーとして活躍するJ. RobbinsのJawboxやShudder to Thinkなどのバンドが登場しました。そして、Ian MacKayeとFaithやIgnitionなどで知られるAlec MacKayeの妹であるAmanda MacKayeがSammich Recordsを始め、BluetipとSweetbelly Freakdownを結成するJason farrellのSwizやAfter Wordsなどの作品を発表し、これらのバンドは''Post-revolution Summer''と呼ばれましたが、Post-hardcoreの陰に隠れてしまい、本格的に発展することはありませんでした。
しかし、この世代と同時期に''Revolution Summer''の影響は、ワシントンD.C.だけではなく他の州へと広がっていき、Emoがジャンルとして定着する基盤が生まれることになります。
''Early Emo''への発展
ワシントンD.C.を含む南部やその上に位置する東部はもちろん、カリフォルニアなどのHardcore文化が根強い地域を中心として、''Revolution Summer''の影響がアメリカ全体へと広がっていきます。各バンドの詳しい解説は州ごとで今後行う予定なので、今回はレーベルを中心に4つの地域ごとにざっくりとまとめたいと思います。
まず最初はワシントンD.C.の周辺に位置するアメリカ南部です。
メリーランドではThe HatedやMoss Iconが登場し、ジャンル意識が薄かった''Revolution Summer''のバンドに代わって、この2つのバンドが初期のEmoの象徴として扱われることも多いです。The Hatedは、後にThree Shades of DirtyやIdaを結成し、いち早くEmoとIndie Rockを掛け合わせた人物として知られるDaniel Littletonが在籍していたバンドで、この時期ですでにThe Second Waveの基盤となるような音楽性を確立し、Rites of Springに匹敵する革新的な存在でした。Moss Iconは、Universal Order of ArmageddonやBorn Againstなどを結成し、Spastic RatsやThe HatedのメンバーだったKenny Hillが創設したVermin Scum Recordsを引き継ぐことで知れるTonie Joyが在籍していたバンドです。Vermin Scum Recordsは後にCross My Heartを結成するRyan ShelkettとChris Camdenが在籍していたBlankの作品も発表していました。
デラウェアではHi-Impact Recordsを運営し、後にRailhedを結成するDarren WaltersとTim OwenがワシントンD.C.で出会い、Jade Tree Recordsを創設します(6)。Eidolonを結成することで知られるTodd RansickのGravelを始め、特にThe Second WaveではJawbreakerのBlake Schwarzenbachが結成したJets to BrazilやCap'n JazzのDavey von Bohlenが結成したThe Promise Ringなどの作品も発表し、中心的なレーベルの1つとなります。
アーカンソーではHātful Dayに在籍していたJason McCloudとDavid BurnsがFile 13 Recordsを創設しました。David BurnsはChino Hordeをはじめ、Thumbnailや12 Ft. 6などのバンドを結成していたため、中心的な存在でした。Jason McCloudは後にFull Service Quartetを結成し、レーベル自体もペンシルベニアやイリノイに場所を移しながら活動を続けていくことになります。
フロリダではgăs'•o•lēne'のCraig ChapmanがOutback Recordsを運営し、Sunney Sindicut RecordsのScott Torgusonが在籍していたPlatypus Scourgeや、The Second WaveのPohgohとCall It In The Airの作品を発表することになります。
Hardcoreの聖地として知られるニューヨークを含む東部では、HardcoreからEmoに音楽性を変えるバンドや、Emoのバンドの作品を発表し始めるHardcoreのレーベルなどが登場し始めます。
ニューヨークではYouth of TodayやShelterに在籍し、後にEqual Vision Recordsを運営するRay CappoがJordan Cooperと創設したRevelation RecordsもHardcoreが中心のレーベルでしたが、Farsideなどの作品も発表しました。後にコチカネットからカリフォルニアに拠点を移し、Texas Is the Reason、Sense Field、Shades Apart、SamiamなどのMelodic Hardcore要素の強いEmoバンドの作品を発表し続け、The Second Waveの''Post-emo''はもちろん、The Third Waveの''Emo Pop''の基盤にもなりました。
さらに、Doghouse RecordsやThe Mountain Collective for Independent Artists, Ltd.などの新しいレーベルも登場し始めます。
Doghouse RecordsはMajority Of OneのDirk Hemsathが創設したレーベルで、Chamberlainの前身バンドとして知られるSplit Lipを始めとして数多くのEmoバンドの作品を発表し、The Second WaveだけではなくThe Third Waveでも中心的な存在になります。The Mountain Collective for Independent Artists, Ltd.はCampaignやHalf Manに在籍していたChris Jensenが創設したレーベルで、後の''Screamo''を語るうえで欠かせないレーベルとなっていきます。
ニュージャージーではRorschachのCharles MaggioがGern Blandstenを創設し、後にThe Van PeltやThe Lapseを結成するChris LeoのNative NodやOswegoに参加するVin Novaraが在籍していた1.6 Bandの作品を発表しました。そして、Bloodlink Recordsが後にFour Hundred Yearsを結成するBull Gervasiが在籍していたPolicy of 3などの作品を発表し始めます。さらに、IconoclastのKevin SabareseがOld Glory Recordsを創設し、Elizabeth Herzに在籍していたNathan ComfiordのGroove、後にChiselを結成し、Chris Leoの兄弟でもあるTed LeoやBare MinimumのAnthony Champaが在籍していたPuzzleheadなどの作品を発表しました。その後は、1993年に発表されたPolicy of 3のフルアルバム『Dead Dog Summer』をきっかけにバーモントへと拠点を移し、''Early Emo''における名作コンピである『God's Chosen People』などを発表することで、北東部におけるシーンの基盤となっていきます。
ペンシルベニアではWatermark RecordsやArt Monk Constructionなどが登場します。Watermark RecordsはEncounterのJoel T. JordanとJason Jordanが創設したレーベルで、OneやJunctionにも在籍したことで知られるJay DemkoのLincolnなどの作品を発表しました。Art Monk ConstructionはSamuelのVanessa Downingも在籍していたJunctionのEric AstorとGarrett Rothmanが創設したレーベルで、OswegoのEric DennoとDarren zentekが結成したKerosene 454などの作品を発表しました。さらに、Stand UpのJeremy Weissが運営していたCI Recordsや、後にFrailのDon Devoreと共にInk & Daggerを結成するSean McCabeが在籍していたFlagmanなどもこの州から生まれます。
アメリカ西部 |
そして、アメリカ西部です。
まず、ニューヨークと並んでHardcoreの中心地であるカリフォルニアでは、他の州以上に数多くのバンドやレーベルが登場し、Emoにおいても聖地といえるような場所となっていきます。特に、Tim Yohannanが創刊したファンジン「Maximumrocknroll」のライターだったKent Mcclardが、同じくライターであり、Not For The Lack Of Tryingに在籍していたSonia SkindrudとDowncastのBrent Stephensの2人とともに創設したEbullition Recordsは重要なレーベルとなります。本格的に作品を発表するのはThe Second Waveからになりますが、「No Answers」や「HeartattaCk」などのファンジンを発行し、Emoが世界中に広がるきっかけを作り、HeroinのMatt Andersonが創設するGravity Records、Indian SummerやShrommunionの作品で知られるRepercussion、SinkerやAmber Innに在籍していたScott TorgusonのSunney Sindicut Recordsなどを中心にHardcore色の強いEmoが発展していき、これらのバンドは後に''Screamo''という一代ムーブメントを巻き起こすことになりますが、詳しくは次回で。
そのほかにも、「Dear You」や「Hello Bastards」などのジャケットのデザイン(7)で知られるJohn YatesのAllied Recordingsを始めとして、Network Sound、Nemesis Records、Headhunter Records、Shredder Records、Vinyl Communicationsなどの元々あったPunkレーベルからEmoバンドが作品を発表するようになります。カリフォルニアはHardcoreもそうですが、特にMelodic Hardcoreの聖地でもあるので、後にプロデューサーとして活躍するMark TrombinoのDrive Like Jehuや、後にJets To Brazilを結成するBlake Schwarzenbachが在籍していたJawbreakerなどを中心に、前述したDowncastやHeroinとは異なる要素を持ったバンドも多く登場します。これらは後の''Post Emo''の基盤にもなり、パンク文化の栄えたカリフォルニアでEmoが発展していったことは、後のEmoにおいて重要な要素となっていきます。
コロラドでは1988年にBob Rob Medinaによって設立され、コンピシリーズである「Colorado Krew」などを発表し、コロラドでEmoシーンが発展するきっかけとなりました。バンドとしてはAgainやKeep in Mindがこのレーベルから登場し、AgainのベースだったJared Poley(8)は1992年にTitanic Recordsを創設します。知名度は低めで小さなレーベルですが、Savalas、Turnkey、Small Dog Frenzyなど、The Second Waveで活躍するメンバーが在籍していたバンドの作品を発表し、コロラドを越えてカリフォルニアのシーンにも少なからず影響を与えた重要なレーベルです。
Savalasは後にAngel Hairを結成し、Gold Standard Laboratoriesを創設するSonny KayとPaul Iannacitoに、Junkdrawer、Ribbon Fix、The Shivering、Amber Innに参加するBrian Gathy、さらにDonut Crew Recordsを運営していたBob Rob Medinaも加えた豪華すぎる4人で結成されたバンドです。
TurnkeyはLilawattに在籍していたSteve Revitte、Eric Ritcher、Craig Ritcherの3人に、Amber Innも参加するDaniel Gutierrezが加わって結成されたバンドです。後にChristie Front Drive、The 101、Golden Cityなどで知られることになるEric Ritcherにとっては最初期のバンドにあたり、Drive Like Jehuに影響を受けて始めたバンドであることをWashed Up EmoのPodcastで語っています(9)。
Small Dog Frenzyは後にAcrobat Downを結成するAaron HobbsとHans Buenningが在籍していたバンドです。自身のレーベルであるAtact Musicalitiesだけではなく、Christie Front DriveのKerry McDonaldが運営していたThe Audio Conceptから作品を発表してことでも知られています。
Grungeの聖地として知られるワシントンではScorch Recordsが登場し、The Second Waveにおける超重要バンドであるSunny Day Real EstateのNate Mendelが在籍していたGalleons Lapなどの作品を発表しました。
アメリカ中西部 |
最後はIndie RockやPost Rockの影響を受けたバンドが多く誕生し、後の''Midwest-emo''の基盤になった中西部です。
ネブラスカでは、SideshowやLuck of AleiaのBernie McGinnがCaulfield Recordsを創設し、Mercy Ruleを始めとしてThe Second Waveでも数多くのバンドの作品を発表しました。
The Second Waveにおける最重要地域であり、中西部の中で中心的な存在となるイリノイでは、Shakefork Recordsがいち早くEmoの作品を発表します。Cinco de Gatosにも参加していたAndy KuharichのManneqvin Hand、Haymarket RiotやTralumaのKevin J. FrankとIvy LeagueのScott ConwayのGauge、後にBraidやHey Mercedesを結成するBobb NannaのFrictionなど、その後に一時代を築くメンバーが作品を発表していました。さらに、42 Loadsでは2人のメンバーがレーベルを運営していました。後にGila Bendも結成するBasil ShadidはFurther Beyond Records、Braidの結成メンバーであるPete HarvanekはSubfusc(後にMidwest(10)を結成するLouis T. Hunterが在籍していたSacHeadの唯一作などを発表。後にPlaying Field Recordingsに改名。)を創設し、早くもThe Second Waveでの飛躍を感じさせる十分すぎる基盤が形成されていきました。
ミズーリではIndie RockレーベルであるFaye RecordsからProzac Memoryが作品を発表しました。
ウィスコンシンではCompound Redの初期作品を発表していたことで知られるHardspun Recordsが登場。
そして、ミシガンではCurrentやOttawaなどで知られるJustin LaboとMatthias WeeksがCouncil Recordsの運営を始め、中西部における''Screamo''シーンの中心的な存在となっていきます。
このように、"Revolution Summer"の影響が徐々にアメリカ全土へと広がっていき、各地域で独自の変化を遂げながら、次々に新しいバンドが登場してThe Second Waveへの基盤が形成されていきます。そしてThe Second Waveを語るうえで欠かすことのできない海外のバンドも、この時代に登場し始めることになります。
海外への進出
ファンジンなどでEmoが本格的に取り上げられる1990年代以降に、アメリカ以外でも"Revolution Summer"や"Early Emo"の影響を受けたバンドやレーベルが登場し始めます。最初は位置的にも近い北アメリカのカナダに広がり、ほぼ同時期に海外のEmoシーンの中心地となるヨーロッパにも広がっていくことになります。
M Blanketは後にAche Hour Credo、Breakwater、Daddy's Handなどを結成するDave Wengerが在籍していたバンドで、Render Uselessなどで知られるSlow to Burn Recordsから作品を発表していました。
Shotmakerは後に30 Second Motion Picture、Three Penny Opera、The Greyなどを結成するMatt Delineが在籍していたバンドで、Maximillian Colbyとスプリットを出したことで知られています。
2 Line FillerはShotmakerのNick Pyeも参加いていたバンドで、Painted Thinなどを始めとしたカナダにおけるMelodic Hardcore寄りのEmoの基盤を作りました。
ヨーロッパでもイタリアを中心にイギリス、フランス、ドイツ、ベルギーへと少しずつ広まっていきました。
ヨーロッパにおけるワシントンD.C.的なポジションであるイタリアでは、Break Even Point RecordsがAlloyのPat MahoneyとKarateやThe LuneのJeff Goddardが在籍していたGrinを始めとして、LifetimeやEndpointなどのアメリカのバンドの作品をいち早く発表し、同郷のバンドとしてはHigh Circleが1987年の時点ですでに''Revolution Summer''直系のような音楽性になっており、海外としては異例で中心的な存在と言っていいと思います。
イギリスでは、後にカリフォルニアに移り、Revelation RecordsやPirates Press Recordsでスタッフとして働くことになるVique Martinが1992年にファンジンである「Simba」を創刊します(11)。さらに、Simba Recordsも創設し、GreyhouseやFabricなどのバンドの作品を発表し、ヨーロッパにEmoが本格的に広まるきっかけとなりました。他にはSbujugationなども登場し、Baby Harp Sealにも参加するTom Chapmanが在籍していたIronsideや、Strength Aloneなどの作品を発表しました。
フランスでは、UndoneやFinger Printなどに在籍していたChristophe MoraがStonehenge Recordsを創設し、フランスの"Screamo"シーンの基盤を形成することになります。バンドとしては、後にVanillaを結成するYann MaisonneuveとYves Maisonneuveが在籍していたIvichや、Symptom of Issacの前身バンドにあたるMilkusなどが登場しました。
このように、アメリカのワシントンD.C.から始まり、小さなシーンに過ぎなかったEmoが世界にまで広がっていきました。特に元々HardcoreやMetalが盛んなヨーロッパは、Emoの全体を通して重要な地域で、"Screamo"の発展には欠かせない存在となっていきます。
The First Waveのジャンル分け
Revolution Summer (Emo-core、Emotional Hardcore)
主要なレーベル (A-Z)
主要なバンド (A-Z)
ジャンルを象徴する1枚
後にOne Last WishやHappy Go Lickyを結成するGuy PicciottoとBrendan Cantyが在籍していたバンドの唯一のフルアルバム。一般的にはFugaziの前身バンドとしての印象が強いかもしれませんが、本当に革新的で時代を変えた1枚だと思います。原点にして頂点といえる作品です。
Post-Revolution Summer (Emo-core、Emotional Hardcore)
主要なレーベル (A-Z)
主要なバンド (A-Z)
ジャンルを象徴する1枚
The Teen IdlesやMiner ThreatのJeff Nelsonと、Gray MatterのGeoff Turner、Mark Haggerty、Steve Nilesの4人で結成されたバンドの唯一作。DC Hardcoreのドキュメンタリー映画、「Salad Days」のエンディングに使われたことで印象的な「Swann Street」をはじめとして、名曲揃いの傑作です。
Early Emo (Real Emo)
主要なレーベル (A-Z)
Allied Recordings、Art Monk Construction、Atact Musicalities、Break Even Point Records、Bloodlink Records、Caulfield Records、CI Records、Council Records、Doghouse Records、Donut Crew Records、Ebullition Records、Faye Records、File 13 Records、Further Beyond Records、Gern Blandsten、Gravity Records、Goldenrod Records、Gold Standard Laboratories、Hardspun Records、Headhunter Records、Jade Tree Records、Lunchbox Records、Motherbox Records、The Mountain Collective for Independent Artists, Ltd.、Nemesis Records、Network Sound、Old Glory Records、Outback Records、Repercussion、Revelation Records、Scorch Records、Shakefork Records、Shredder Records、Sidekick Records、Simba Recordings、Simple Machines、Slow to Burn Records、Stereonucleosis Records、Stonehenge Records、Subfusc、Subjugation、Sunney Sindicut Records、Titanic Records、Unleaded Records、Vermin Scum Records、Vinyl Communications、Watermark Records、Withering Records、Yuletide Recordsなど
主要なバンド (A-Z)
Admiral、Again、Age、Alloy、Amenity、Anakrid、Angry Son、Antioch Arrow、Ashes、Blank、Blindfold、Bob Evans、Boys Life、Campaign、Cap'n Jazz、Chino Horde、Chilmark、Chisel、Choke、Compound Red、Concrete、Crayon、Current、Dahlia Seed、Donora、Downcast、Drive Like Jehu、Eidolon、Elizabeth Herz、emiLy、Encounter、Endpoint、Enkindel、Evergreen、Exhale、Ezra Pound、Fabric、Far、Farside、Fiddlehead、Figure、Finger Print、Fireside、Five-O、Floodgate、Forced Down、42 Loads、Franklin、Freak Beans、Freemasonry、Friction、Fuel、Galleons Lap、Garden Variety、găs'·o·lēne'、Gauge、Germbox、Giants Chair、Gravel、Greyhouse、Grimace、Grin、Groove、Half Man、The Hated、Hātful Day、Hemlock、Heroin、High Circle、Huffy、Hurl、Hush Harbor、Iconoclast、Indian Summer、In/Humanity、Ivich、Ivy League、Jawbreaker、Jihad、Julia、Jumpknuckle、Junction、Karate、Keep in Mind、Kid Dynamo、Knotwork、Lazy Susan、Lifetime、Lilawatt、Lincoln、Lungfish、Lync、Manneqvin Hand、Manumission、March Hares、Matter of Fact、M Blanket、Mercy Rule、Merel、Milkus、Mohinder、Moss Icon、Native Nod、Navio Forge、Nuzzle、1.6 Band、Opposition、Ox、Phido、Pitchfork、Platypus Scourge、Plunger、Policy of 3、Pot Valiant、Prozac Memory、Puzzlehead、Railhed、Reason to Believe、Reptile House、Rorschach、SacHead、Samiam、Savalas、Sense Field、Shades Apart、Shift、Shiner (Canada)、Shotmaker、Sideshow、Sinker、Slack、Sleeper、Sleeping Body、Slowdown Virginia、Small Dog Frenzy、Spirit Assembly、Split Lip、Stand Up、Still Life、Strength Alone、Struggle、Sunny Day Real Estate、Target、Ten Boy Summer、Three Mile Pilot、Three Shades of Dirty、Thumbnail、Trigwater、Turnkey、2 Line Filler、Undone、Universal Order of Armageddon、Unwound、Vine、Vitreous Humor、The Yah Mosなど
ジャンルを象徴する1枚
Desmond Outcast and The Transplanted HeroesやIdaなどで知られるDaniel LittletonとVermin Scum Recordsの創設者で、Spastic Ratsにも参加していたKenny Hillを中心に結成されたバンドの3rd アルバムです。解散する直前に発表された作品で、The Hatedの中でも最もIndie Rockの要素が強く、後のEvergreen、Plunger、Sunny Day Real Estate、Christie Front Drive、Mineralなどの"Indie-emo"の音楽性を1989年に確立させていたのは本当に驚きです。この後すぐに、TunamiのJenny Toomeyと結成したThree Shades of Dirtyも最高なので、Indie-emoがお好きな方はぜひ聴いてみてください。
脚注と参考資料
脚注
(1): 直訳で''夏の革命''ですが、すごくいい名称ですよね。シンプルかつ意味も伝わりやすい素晴らしい呼び方だと思います。
Emoがいまいちよく分からないジャンルとなってしまったのは、やはり名称の影響が大きいのではないでしょうか。''Emotional''という単語は音楽ジャンルの名称としては不適格だったと思います。''Emo''という単語の見た目や語呂は気に入ってますが、''感情的''といわれてもいまいち音楽性が伝わってきません。そもそも''Emotional''じゃない音楽なんて存在しませんし、ましてやハードコアのサブジャンルの名称として使ってしまったんですから、相性は最悪です。
ほかのサブジャンルの名称としては、''Grunge''や''Shoegaze''などが有名ですが、これらは音楽性も伝わりますし、語呂もよくてなかなか良い名称ですよね。''Emo''もほかの呼び方がなかったのかとたまに考えますが、結局これでよかったのかなとも思います。この名称のおかげで今の多様性が生まれたとも考えられますし。何より字面はとても気に入ってます。
ということで、''Revolution Summer''に関するWikipediaの記事を載せておきます。
(2): イギリスの日刊新聞社であるThe Guardianが2012年に制作した、Rites of Springと''Revolution Summer''に関する記事です。
(3): こちらはワシントンD.C.の日刊新聞社であるThe Washington Postで、''Revolution Summer''から30周年を記念して2015年に制作された記事です。''Revolution Summer''は音楽だけではなく、社会的にも大きな影響を残しました。
(4): Thrasher Magazine公式のデジタルアーカイブを載せておきます。雑誌自体は高騰していて入手困難なので、ネットで気軽に内容を見られるのは有難いですね。
(5): ポッドキャストを運営しているCulture Creatureで、2016年に制作されたIan MacKayeの例の発言に関する記事です。ライブのMCで発言をした時の実際の映像も観られます。冷静に考えて映像に残ってるってすごいですよね。
(6): 音楽メディアであるSPINで2014年に制作されたTim Owenへのインタビュー記事です。Darren Waltersとの出会いなどが語られてます。
(7): John Yatesが運営しているデザイン会社であるStealworksのホームページです。
(8): Jared Poleyは、大学卒業後にジョージア州立大学でドイツ史の研究者となったようで、「New German Review」というサイトに1943年のナチス・ドイツで制作された映画「Titanic」に関する論文が掲載されてます。Titanic Recordsの由来はここからきているみたいですね。
サイトはすでに閉鎖されているので「Internet Archive」のURLを載せておきます。
(9): Emo専門の音楽メディアであるWashed Up Emoで行われたポッドキャストの第8回目です。Eric Richterをゲストに迎えています。ちなみにこの回は「Anthology of Emo: Volume 1」にも収録されてます。
(10): Midwestはとてもいいバンドなのですが、作品の詳細は不明でDiscogsに情報もないので、Bandcampのページを載せておきます。音源集が配信されているので、気になった方はぜひ。
(11): VoyageLAで2020年に制作されたVique Martinのインタビュー記事です。
参考資料
Wikipedia- Emo
AllMusic- Emo
Rate Your Music- Emocore
President Vision- 1985
今回はこれで以上になります。それでは、また次回をお楽しみに。
-Yasuaki